当山は、山号を「淨光山」、院号を「専修院」と号し、浄勝寺(現在は単立)の元 塔頭(たっちゅう)寺院として開創され、船橋宿の漁師町一角である「寺町」の浄土宗寺院として現在に至っています。
過去帳によれば、「開山は類譽上人(永正3年(1506)寂)」とあり、中興は「第六世 専譽上人(寛永元年 (1624) 3月寂)」と記されてあります。
また別の記録として本所・霊山寺誌には、「浄勝寺・大超(潮)上人が寛永年間(1624-1644)に開いた」ともあります。この大超上人は、将軍 徳川家康と旧識があり、その後 江戸・寿松院に転住し、本所・霊山寺の開基を命ぜられました。
資料の少なさから正確なところは不明ですが、境内墓碑には正保(1644-1648)・承応(1652-1655)・明暦(1655-1658)時代の戒名記載があるので、江戸時代初期には檀家を持つ寺院として栄えたようです。
近代においては、第三十世(先代) 顕譽英信上人が念仏の教化の為に、昭和42年(1967)船橋市馬込の市営霊園前に、当山の別院として釈迦殿を建立しました。
山内においても、昭和57年(1982)に堂宇を鉄筋2階に改築し、新たな御本尊様として阿弥陀如来様の坐像(約4尺)をお迎えしました。また、1階部分には納骨堂を併設しています。
境内には子育・水子観音もあり、毎年6月の大施餓鬼会において、壇信徒の皆様と共にご供養をしています。
開山上人 | 金蓮社類譽周光上人 |
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開創年次 | 永正3年(1506)以前 |
現 住 職 | 第三十二世 飽田英俊 |
年中行事 | 彼岸会法要 (春彼岸中日 午後2時) 大施餓鬼会 ( 6月1日 午後2時) 水子総供養 ( 同上 午後3時) 新盆合同供養 ( 7月および8月の第1土曜日) 十夜会法要 (11月8日 午後1時法話、午後2時法要) |
住 所 | 千葉県船橋市本町3−35−3 |
電 話 | 047−422−3094 |